1834
〈リンメル〉の創始者であるユージン・リンメルは、調香師の父、ヒヤシンス・マーズ・リンメルと共にパリからロンドンに渡り、女帝ジョセフィーヌのお抱え調香師であったピエール・フランシス・ルビンの下で、父と一緒に経験を積みました。
そして、後にユーロスターが走ることなど誰も思いもしなかった1834年、アルバマール通りに店を構えます。当時ユージンは14歳でした。
ここから彼らの大躍進が始まります。ユージンは、発明家・革新者・マーケティングの天才として大成功を収め、化粧品に自分の名前〈リンメル〉をスタンプし、商品のアイコンとして<ロンドン>と記載しました。
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1850
ユージン・リンメルの膨大な発明の中には、通販カタログや、観劇をする人たちのための香りつきの扇子、香りつきのバレンタインカードなどがあり、ビクトリア時代に大センセーションを巻き起こしました。
1851年にロンドンのハイドパークで開催された画期的な博覧会で、彼が考案した貴婦人のハンカチにオーデコロンを噴射する「香りつきの噴水」が披露されると、訪れた人々は熱狂しました。
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1860
独創的なユージンは、当時、紛れもなくトップトレンドセッターであったビクトリア女王の心さえも捉え、公式に王室御用達の調香師となりました。
リンメルの名声は瞬く間に世界中に広まり、1863年に発行されたニュージーランド『ヘラルド』誌の創刊号にリンメルの広告が掲載されています。
1880
しかし、ユージン・リンメルが開発した商品の中で人々の記憶に永遠に残るものは、1880年頃に発売された「リンメルウォーター コスメティクス」でしょう。
それはリンメルがおそらく世界で初めて発明した“無毒”のマスカラで、当時それがどれほど画期的だったか想像できると思います。
1900
ユージン・リンメルが1887年に亡くなった後、彼の2人の息子が会社を引き継ぎました。
1900年代の大きな出来事としては、ヨーロッパが第2次世界大戦に突入し、化粧品の需要が再度高まった時期に、広告担当の幹部だったロバート・カプリンとローズ・カプリンがリンメルを買収したことです。彼らにはユージン・リンメルが持っていたようなマーケティングの才能があり、「美にこだわり、価格にこだわるなら、リンメルより良い物を買えるブランドはない」という記憶に残りやすいスローガンを掲げ、セルフの化粧品カウンターを初めて導入しました。カプリン夫妻は、低価格で品質の良い商品というリンメルの評判を確立し、活気あふれる1960年代には、ファッションと化粧品の大衆化によってロンドンが世界の流行発信地になることを予測していました。
1990年代後半に、リンメルはコティ社のブランドとなり、リンメルが本来得意とする「トレンドを生み出す精神」を復活させました。ユージン・リンメルが生きていたら誇らしく思うに違いない、マーケティングの大成功によって、リンメルはロンドンのコスメの代名詞となり、若々しさ、色彩、エネルギー、過去の偉大な業績すべてを融合し、ストリート風のイメージを訴求するために王冠やユニオンジャックといったイギリスのシンボルを使用しました。
そしてそのブランドイメージは現在、有名なキャッチフレーズ「LIVE THE LONDON LOOK」に集約されています。
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2006
日本でリンメルの展開が始まります。ロンドン発のリンメルの精神を受け継ぎながらも、日本では全て、日本人に合う処方・色を選び抜いたアイテムを展開。今では、250万個以上の売上数を誇る、絶妙なグラデーションのアイカラーセット「ショコラスウィート アイズ」シリーズや、「ラスティングフィニッシュ オイルティントリップ」など、豊富なカラーバリエーションで遊び心あふれるアイテムを提案しています。